実家売却のきっかけは母の生活環境の変化
並木さんの父が亡くなったのは、2019年11月のこと。突然、病気の治療中に投薬の副作用による症状が悪化したのだ。慌ただしく葬儀などを終え、翌2020年4月にようやく相続までひと通りの手続きを終えた。それまで父と共に暮らしていた母は当時、自身が父から相続した家で「初めてのひとり暮らしを楽しむ!」と意気揚々。しかし並木さん姉弟は「無理だろう」と静観していた。
-「母は何でも父に任せっきりの人でした。父が亡くなったときに通帳の在処を聞いてもわからなかったくらい。案の定、すぐに心細くなったみたいで、半年もすると電話口で『消えちゃいたい、死にたい』と言い出したんです。ああ、これはまずいと思い病院に行くことを提案したのですが、なかなか受診しようとしてくれなくて心配しました」-
-「母は何でも父に任せっきりの人でした。父が亡くなったときに通帳の在処を聞いてもわからなかったくらい。案の定、すぐに心細くなったみたいで、半年もすると電話口で『消えちゃいたい、死にたい』と言い出したんです。ああ、これはまずいと思い病院に行くことを提案したのですが、なかなか受診しようとしてくれなくて心配しました」-
親類みんなで受診を説得している傍ら、並木さんは病院探しを始めた。しかし当時は新型コロナウイルス感染症流行の影響で、病院はなかなか新たな患者を受け入れてくれない時世。母の自宅がある千葉県内で20件以上の病院に問い合わせるも、軒並み断られた。そこで並木さんは、自身が暮らす茨城県内で病院を探すことに。すると、いくつか受け入れ候補が見つかり、運よく「安心して母を任せられそう」と思える病院に出会えたのだ。
さっそく母を連れて受診すると、医師が「うつ病です。入院しないとダメ」とはっきり宣告してくれた。専門家の言葉でようやく自身の状態を認めた母。幸い初期に治療を始められたため薬がよく効き、徐々に状態は安定。数週間後には退院の時期を相談できるほどになったのだが、医師からは「一人で暮らすのは難しいでしょう。おそらくうつ病が再発する」と告げられた。
-「やっぱりなと思いました。母も本当は困っていたんだと思うんです。買い物や銀行に行くのも満足にできていなかったようなので。なのに『ヘルパーさんを雇おうか』と提案しても、内向的な性格もあって嫌がりました。
加えて福祉関連のお知らせが届いても、内容が理解できなくて利用しない。もっとも理解できたとしても、何かと理由をつけて利用しなかったでしょう。
おそらくこういう方は母だけではないと思います。いい制度はたくさんあるのに、利用したいと思わない人はたくさんいるんです」-
-「やっぱりなと思いました。母も本当は困っていたんだと思うんです。買い物や銀行に行くのも満足にできていなかったようなので。なのに『ヘルパーさんを雇おうか』と提案しても、内向的な性格もあって嫌がりました。
加えて福祉関連のお知らせが届いても、内容が理解できなくて利用しない。もっとも理解できたとしても、何かと理由をつけて利用しなかったでしょう。
おそらくこういう方は母だけではないと思います。いい制度はたくさんあっても、利用しない人はたくさんいるんです」-
母が自宅で一人暮らしすることが難しいのなら、高齢者施設を探さなくてはならない。ときは年の瀬。並木さんは大晦日もないくらい慌ただしく施設見学を始めた。何件も巡り、年が明けた2021年2月にようやく見つけたのは、並木さん自身が「自分も入りたい」と思える場所。新しくはないが、実績があって多くの人の信頼を得て運営しているのが見て取れた。何より、コロナ禍で人とのコミュニケーションがなくなっていたことに堪えていた母には、施設が実施する適度なレクリエーションが合ってそうに思えた。
ここにいれば、少し不自由になってきた足に鞭を打ってまでして買い物に行かなくていい。周りも自分のように介護を受ける人たちなので、変に見栄を張らなくていい。そうした環境が、母のこれからの暮らしを健やかにしてくれると思えたのだ。
施設入所により空き家になった実家を手放すことを決意
母が一人で暮らしていくのが難しいとわかり、始めたのは高齢者施設探しだけではない。空き家になる実家への対応もだ。
-「最初に問い合わせをいただいたのは、お母様がご病気になられて入院されたとき。退院後、高齢者施設に入所することが決まったため、空き家になる実家をどうしていくか相談したいという話でした」-
-「最初に問い合わせをいただいたのは、お母様がご病気になられて入院されたとき。退院後、高齢者施設に入所することが決まったため、空き家になる実家をどうしていくか相談したいという話でした」-
並木さんは相談当初、すぐに売る・貸すことはあり得ないと思っていた。高齢者施設への入所が決まった当初は、母の中に「いつかは帰りたい」という気持ちがあったからだ。帰る場所を奪ってしまうと、心の支えがなくなり病状が悪化してしまうのではないかと懸念した。ただ空き家管理の大変さをいろいろ見聞きしていた並木さん。加えて、父が亡くなったあとに家の管理を満足にできない母が、庭を草で鬱蒼とさせてしまっていた風景が脳裏に残っており、そうした事態を避けたいという思いが強かった。
そこでまずは、空き家管理を請け負ってくれる業者探しからスタート。大手企業が運営しているサービスを知ってはいたが、大仰なことを求めているわけではないので、手軽なサービスから展開している業者を探していたところ、「NPO法人 空家・空地管理センター」にたどり着いた。
初回の問い合わせ後、すぐに事態は一変した。
-「本音は『すぐにでも処分したい』気持ちでしたが、母は納得しないだろうと諦めていました。そこに弟が『手放した方がいい、俺が説得する』と言ってくれたんです。娘の言うことより息子の言うことの方が聞きやすいみたいで、すぐに『あなたたちに迷惑をかけるだけだから、好きにしていいよ』と、母が実家の売却を許諾してくれました」-
-「本音は『すぐにでも処分したい』気持ちでしたが、母は納得しないだろうと諦めていました。そこに弟が『手放した方がいい、俺が説得する』と言ってくれたんです。娘の言うことより息子の言うことの方が聞きやすいみたいで、すぐに『あなたたちに迷惑をかけるだけだから、好きにしていいよ』と、母が実家の売却を許諾してくれました」-
高齢者施設に入所する際に、仏壇や衣類など身の回りのものを持っていけたことも、母の気持ちを後押ししたのかもしれない。全てがなくなるわけではない、と思えたのだろう。
大きな罪悪感を抱えながら、代理で家財整理
-「貸すという選択肢もありましたが、実家は古い家ですから建て直しが必要でした。それに大家さん業もなかなか大変。以前やったことがあるのですが、メンテナンスの責任はこちらになるなど、自分の生活への負荷が大きくて。これからの生活をできるだけシンプルにしたかったので、貸すのはやめようと決めました」-
-「貸すという選択肢もありましたが、実家は古い家ですから建て直しが必要でした。それに大家さん業もなかなか大変。以前やったことがあるのですが、メンテナンスの責任はこちらになるなど、自分の生活への負荷が大きくて。これからの生活をできるだけシンプルにしたかったので、貸すのはやめようと決めました」-
売却の意志を固めた並木さんは伊藤にその旨を連絡した。伊藤は2021年3月に現地確認に行き、空き家の管理方針を決めるとともに売却に向けた調査を開始。その間に、並木さんは家財整理を進めた。早くから取り掛かったため、解体業者が見積もりに来たときには、「きれいですね」と言われるほど片付いていた。
-「父が亡くなったあと、夏場の庭の手入れが本当に大変だったので、とにかく夏を迎えたくないという気持ちが強くて急ぎました。父は先を見ているタイプで身辺整理をかなり進めておいてくれたのですが、それでも物がいっぱいあって。例えば40年くらい前に家族で海外に住んでいたときの思い出の品などは、思い入れがあって捨てられなかったのでしょうね。これらを処分していくのは、精神的に一番しんどかったです」-
-「父が亡くなったあと、夏場の庭の手入れが本当に大変だったので、とにかく夏を迎えたくないという気持ちが強くて急ぎました。父は先を見ているタイプで身辺整理をかなり進めておいてくれたのですが、それでも物がいっぱいあって。例えば40年くらい前に家族で海外に住んでいたときの思い出の品などは、思い入れがあって捨てられなかったのでしょうね。これらを処分していくのは、精神的に一番しんどかったです」-
並木さんの母は存命中。それなのに両親や家族の思い出の品を処分することには、大きな罪悪感があった。許可は得ているものの精神的なダメージが大きく、「できることならやりたくない」という気持ちが消えなかったと言う。幸い、神奈川に住む弟が何度も手伝いに来てくれたことが、並木さんを肉体的にも精神的にも助けた。
二つの課題を解決して無事売買成立
並木さんの実家がある住宅地には、不動産の観点で一つの特徴があった。それは自治会集会所の所有権を地域住民で共有していたことだ。そのため、集会所は現在ほとんど使われていないものの、この所有権も買主に渡さなければならない。買主からすれば「なぜ余計なものまで一緒に買わなければいけないのか」と不審に思われかねないポイントになる。幸い、今回売却先となった建設業者には説明して納得してもらえ、3月末に売買契約が締結。その後、4月に家財の撤去を完了させ、解体を実施。6月には確定測量(※)も完了した。
※確定測量とは
全ての隣接地との境界について、隣接する土地の所有者との立ち会いにて境界の確認を行う測量のこと。
※確定測量とは
全ての隣接地との境界について、隣接する土地の所有者との立ち会いにて境界の確認を行う測量のこと。
-「契約成立に向けて、固都税の評価証明書や権利証など本当に多くの書類が必要でした。けれど少し前に父の相続を経験していたため、伊藤さんや司法書士さんなどに『取ってきてください』と言われる書類がどこで取得できるのか、何のことなのかが大体すぐにわかりました(笑)。ある意味、父に感謝ですね」-
-「契約成立に向けて、固都税の評価証明書や権利証など本当に多くの書類が必要でした。けれど少し前に父の相続を経験していたため、伊藤さんや司法書士さんなどに『取ってきてください』と言われる書類がどこで取得できるのか、何のことなのかが大体すぐにわかりました(笑)。ある意味、父に感謝ですね」-
本来、不動産の売却は所有者本人が実施するが、今回は代理での売却のため、所有者である並木さんの母が委任状にサインし、並木さんが代理で基本の契約手続きを進めた。しかし所有権の移転登記には所有者である並木さんの母の意思確認が必要になる。一方、当人は高齢者施設に入所中。コロナ禍で面談が難しかったため、その対応はビデオ通話で実施された。司法書士が画面越しに、「この金額で売却することをご了承いただけますか」と並木さんの母の意思を確認し、2021年7月、無事に売買契約が締結した。
これで万事解決。と言いたいところだが、実家売却の決済と引き渡しが完了した9月、地中より埋蔵物が発見された。購入した建設業者が、簡易アスファルトが地層のように埋まっているのを見つけたのだ。その昔、道路が走っていたところに住宅地を作ったことが原因ではないかと推測された。
地中埋蔵物は通常、売主側の責任で撤去する必要がある。買主側の建設業者も要望していたことから、並木さんは解体を依頼した業者に改めて連絡。無事に撤去してもらったところで、ようやく今回の売却における一連の手続きが完了した。
今回の売却を振り返って
並木さんは実家が空き家になることが決まった当初、母に売却の合意をもらえると思っておらず、「10年は管理する覚悟だった」そうだ。そうなると母は認知症などを患い、売る、貸す、壊すなどの契約行為が適わない未来もあり得たことだろう。けれど弟が母を説得してくれた。だからいま、並木さんの生活は空き家管理などの面倒ごとがなくシンプルなままだ。
-「母は施設に入ってから、一度も『帰りたい』と言ってこないんです。施設は我が家から車で10分くらいの場所にあり、衣類の買い足しなどで月2回くらい会いに行くのですが、楽しく過ごしているようで安心しています」-
-「母は施設に入ってから、一度も『帰りたい』と言ってこないんです。施設は我が家から車で10分くらいの場所にあり、衣類の買い足しなどで月2回くらい会いに行くのですが、楽しく過ごしているようで安心しています」-
家族は遠慮がいらないかもしれないが、家族だからこそ話しづらいこともある。元気なうちに「この家、どうするの?」なんて聞きづらいと感じる人も多いだろう。けれど、何かの機会で意思を確認できると、今後の人生の見通しは良くなる。並木さんの場合、母の施設入所というタイミングがそれだった。
またその少し前に父が亡くなっていたことが、皮肉にも並木さんを動きやすくしてくれた。そこで相続に伴う手続きを経験したことが、並木さんの確かな経験値になっていたのだ。
不動産売却は簡単ではない。特に普段目にしないような書類の処理などの負担は大きい。それでも今やるか、10年後にやるかの判断で負担を減らすことは可能だ。誰だって10年後より今日の方が確実に若く、フットワークも軽い。持ち家を所有する家庭は、数年おきに話し合いを重ねておくのがいいかもしれない。
担当者の振り返り
私どもは今回、売却の査定や家財整理の見積もりなど考えうる意思決定の材料を事前に提示することで、並木様がスムーズに方向性を決めやすいようにお手伝いしました。
代理での売却であること(売却の委任状に添付した印鑑証明の使用期限が3ヶ月)と、お母様の状態を鑑みると、売却手続きをする上で時間的にあまり余裕がある状況ではありませんでした。しかし並木様のご判断は常に迅速で、不明点はすぐにご連絡をいただけましたし、私もできる限り早い回答を心がけたため、期限内に売却を完了できたのだと思います。
実家が不要だから処分する、という意思決定は簡単なものではありません。先行きが不透明な昨今だからこそ、課題を先送りせず家族で真剣に話し合い、方向性を決めていくことが重要です。並木様のこの度のご相談も、お母様がご健在なうちに無事解決できたことをとても嬉しく思います。